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wabi

Author:wabi


治療の一環として始めた海岸散策。
そこで知り合った海岸猫たちと交流を
深めるうちに彼らの魅力に心惹かれて
2009年10月に旧ブログを開設。
そして2015年9月に当ブログを新設。

★プロフィール写真は元海岸猫の愛猫

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2010年1月23日
東京都荒川区東日暮里で行方不明
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2012年8月5日
名古屋市緑区姥子山鳴海グランドで
行方不明
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赤トラの真意

この日私は、久しぶりに早朝の海岸へ足を運んだ。
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遥かに富士が遠望される。この季節、富士は靄に隠れてめったに姿を見せない。
これを吉兆だと思いたいが、“好事魔多し”ということも考えられる。


海岸には白い波頭を立てて大きな波が打ち寄せている。
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この波はサーファーにとって間違いなく吉兆であり朗報だ。


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海岸には波が起こす海鳴りが響きわたっている。


その波音に負けじと、大きな鳴き声をあげる猫がいた。
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最近海岸に棲みついたニューフェースだ。


仄聞したところによると、5月の初旬にこの場所へ現れ、以後そのまま居着いたという。
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被毛の種類は、茶トラより “赤トラ” と呼んだほうが適切かもしれない。
ちなみに性別はオスで、去勢手術の痕が認められる。



持っていたカリカリを与えると、赤トラはがつがつと食べ始めた。
食器が置いてあるからには、食事の世話をしている人がいるはずだ。

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このといも、一人の女性が現れ、食事している赤トラを見ると「あんまりあげてもねぇ」といって立ち去った。


そして所在無さそうに海を眺めているこの男性も、話を訊くと赤トラにエサを与えるために海岸へ来たという。
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悄然とした男性の後姿を見ていると、何だか自分が酷く悪いことをしたような後ろめたさを感じてしまう。
猫にエサを与えて、こんな思いにとらわれたのは初めてだ。



人目につく場所にいるからということもあるが、この猫が多くの人に愛されている理由は、それだけではないようだ。
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僅かな間しか接していない私にも伝わってくる、懐こく穏やかな気質のせいだろう。


さらには、この猫が抱えるバックストーリーを感じ取っているからだと思われる。
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その人馴れした様子から、最近まで飼い猫だったことは、誰が見ても明白だ。


そして飼い猫がいくら迷ったとしても、こんな場所へ自ら来ることなどあり得ない。
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「お前も酷薄なニンゲンの手によって、ここへ遺棄されたんだろ」


そんな目に遭っても、人を毛ほども警戒しない猫の姿に接するたびに、私は暗然とした気持ちになる。
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いくら最近まで飼い猫だったとはいえ、こんな目立つ場所に居つづける赤トラの真意を理解できない読者も少なくないだろう。


過日、行方不明になった愛猫と数日後に再会を果たした私には、ある程度推察できる。
赤トラの秘めた決意が‥‥。

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散歩中の犬がそばに来ても、逃げることも敵意を見せることもなく、泰然と構えている。


たとえ元飼い猫だとしても、この大胆不敵な態度は驚嘆に値する。
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体の下に前足を折りたたんだこの座り方は、一般的に“香箱座り”などと呼ばれ、無警戒で相当リラックスした証である。何故なら危険が迫った場合、この体勢では瞬時に動けないからだ。


よしんば、この犬なら襲ってきても、たやすく逃げ切れるという自信の表れかもしれない。
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あるいは元の家で、犬と同居していた可能性も考えられる。


そんな赤トラを、スマホでローアングル撮影する男性。
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ちょこまかしない赤トラは、被写体としても人気があるようだ。


この男性も猫好きなのだろう、撮影を終えると、赤トラを優しく撫ではじめた。
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赤トラもその男性の行為に応えるように歩み寄ると、足許へうずくまった。


猫自身もその人が自分にどういう感情持っているかを、敏感に察知する。
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朝陽を浴びて輪郭を際立たせた眼の前の情景に、私の心は和んだ。


そこで私は男性に、顔をぼかす条件でブログへの写真掲載の許可を申し出た。
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すると、そのブログ知ってますよ。この間、迷い猫の捜索願いが載っていたでしょ、と男性はいった。
さらに、「顔を出してもいいですよ」と快諾してくれた。



この場を借りて、改めてこの男性に謝意を述べたい。
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ブログへの写真掲載の件もだが、寄る辺ない赤トラに優しく接してくれていることへの感謝だ。


海辺はサーファーの数がにわかに増えてきた。
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海から目を戻すと、先ほどの男性の姿はなく、赤トラがぽつねんと佇んでいた。
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時刻は6時半を過ぎ、会社勤めの人がそろそろ海岸から引きあげる頃だ。


だが赤トラはいくら優しくされても、人の後を追おうとはしない。
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その潔い態度に、私は改めてこの猫の真意を垣間見た気がした。


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やがてベンチにいた人たちも次々と立ち去り、赤トラと私だけが残された。


私が感知した赤トラの真の願い。本来ならそれが叶うことを祈ってやりたいのだが‥‥。
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「お前のその願いは、おそらく‥‥」


しかし私はこれ以上、赤トラの心情に踏み込むのをやめた。
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お前の真意を見通したなんて、私の思い上がりだ、きっと。


第一先のことなど誰にも分からないし、この世は何事も起こり得るのだ。
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私は自分にそう言い聞かせながら、海岸を後にした。



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海を眺める猫

湘南海岸。早朝。
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滅多に姿を見せない大島が、今朝は輪郭もくっきりと水平線に端座している。


眠れぬまま、まだ夜も明けきらぬ時刻に家を出たので、海岸に人影は疎らだ。
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いつもは寝ていることが多いサブが珍しく目覚めていた。
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だが訪れた私に視線も送らず、目の焦点も定まらぬ惚けたような顔をしている。
「ひょっとして寝起きなのか‥‥?」



“ベンチ猫” などと呼んでいるけれど、実際にサブがベンチの上にいるのを、私はまだ見たことがない。
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そこで誰もいないし、ベンチの上で食事をさせようとしたのだが‥‥、


サブは文字通り借りてきた猫のように、ただじっと佇むだけだ。そして険しい表情で前方を凝視している。
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さっきから私の姿を認めたカラスが、仲間を呼ぶために盛んに鳴いているが、それが気になりでもするのだろうか?


仕方なくベンチの下にトレイを移すと、サブはやっとエサに口を付けた。
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この新参の海岸猫、寝相は大胆なくせに妙なところで神経質だ。


ちなみにカラスは人の顔を識別することができる。
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このエリアのカラスに私も顔をしっかりと憶えられたようで、キャットフードを出す前から防砂ネットの上に陣取り、虎視眈々と隙を窺っている。


サブが食事を中断し、つと顔をあげた。
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そしてエサをほとんど残したまま、トレイから離れてしまった。


この時刻、既に誰かから食事を与えてもらったのだろうか?しかしベンチの周りに、前回あったはずの食器類が見当たらないのだが。
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そういえば、最近ベンチ下に置いてある器が、何者かに持っていかれると聞いている。軽いものならカラスが咥えて持ち去る場面を私も数回目撃したことがあるが、重い陶器の器も何度か無くなっているのを不思議に思っていた。


おそらくこの場所で野良猫に餌付けすることを快く思わない猫嫌いのニンゲンの仕業だろうが、それならエサ遣りさんに面と向かって抗議をすればいいのだ。
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そんな度胸もなく陰険で姑息な行為を繰り返す卑怯者には、怒りを通り越して憐憫すら感じる。


サブが不意に立ち上がり、ゆっくりと歩きはじめた。
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その歩調はこの猫の性格を表すように、飽くまでも悠々としている。


サブはテラス横の階段を降りてしまった。浜に出て、いったい何をしようというのか?
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ややあって、サブは階段状のブロックの上を海に向かって歩を運びはじめた。


初めは用を足すためかと思ったが、それならばもっと近くに適当な場所があり、サブ自身もそこを利用している。
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サブの不可解な行動に私は好奇心を覚え、後を追うことにした。


サブを観察していると、何かを探している様子である。やはり用を足す場所を求めての行動なのか?
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波消ブロックから砂浜に降りたサブは、なおも海に向かって進んでいく。
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そして波打ち際まで来たサブは、歩を止めると湘南の海を眺めはじめた。


最近まで飼い猫だったサブは、海岸に遺棄されるまで “海” というものを知らなかったはずだ。
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サブはその海を眼前にして何を思っているのだろう?


波がサブのすぐ側まで打ち寄せる。
体が濡れるのを極端に嫌う猫は、海に入ろうなどとは考えない、普通なら。

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やはりサブは海を、そして海の怖さを知らないのだと、私は認識を深めた。


海を眺めながら、しばし逡巡していたサブだったが‥‥、
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ついに諦めたと見えて、踵を返してこちらへ向かってきた。


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サブはしかし、私のいるところまで戻って来てもなお未練がましく海を見つめている。


そして、まだ何かを希求しつづけている風情のサブ。
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これまでのサブの不審な行動から、私は推測を試みることにした。


用を足す場所を求めての行動でないことは、既に明らかだ。
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初めからサブがその気なら、とっくに用を済ませているはずである。


サブは落胆した様子で、海岸沿いの道路を見あげると、
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さっきのルートを辿るように、とぼとぼと歩きはじめた。


その後ろ姿には、何かなし悲哀が漂っている。
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サブを見送っていたそのとき、私の考えはある憶説に行き着いた。


「そうだ、そうに違いない。海の何たるかを知らないサブは、だからあんな行動をとったのだ」
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「サブ、しばらく待っていろよ。お前の欲しがっているモノを持ってきてやるからな」


私はサブにそう言い残して、海岸沿いの道を、ある場所へと急いだ。
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これは公共の給水栓。
飲み水を補給したり、サーファーが砂まみれの身体を洗うために使われている。
また防砂林に住まう人たちにとっての、生活水でもある。

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私は持参していたペットボトルに水を注ぎ入れた。


そしてサブのところへ取って返すと、トレイになみなみと水をついでやった。
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するとサブは、顔をトレイに突っ込まんばかりの勢いで水を飲みはじめた。


やはり喉が渇いていたのだ。それで、“大きな水溜り” である海の水を飲もうとして波打ち際まで行ったのだ。
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よほど喉が渇いていたのだろう、サブはひたすら水を飲みつづける。


一瞬たりとも休まず、ただ一心不乱に水を飲む、飲む‥‥、飲む‥‥。
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ついにはトレイの水が残り少なくなってきた。


やがてサブは、トレイの底に水を僅かに残して顔をあげると、満足げに舌舐めずりをした。
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ようやく人心地(猫心地)がついたのか、私にすり寄ってくると、そのまま足許にうずくまった。


ところがサブは、すぐにまたトレイに駆け寄って、僅かに残った水を舐めるように飲みはじめた。
私は急いでペットボトルから水を注ぎ足してやった。

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サブはその水をさっきより幾分余裕を持って飲みつづけた。


尋常ではない喉の渇き‥‥。いったいサブは、いつから水を飲んでいなかったのだろう?
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いつもなら水の入った器が置いてあるはずである。
サブにとっては命の水ともいえるその水を、器ごと持ち去ったニンゲンの行為がこうして小さな命を脅かすのだ。



サブだって好きこのんで、ここに居つづけている訳ではない。
ここは、この猫が遺棄された現場、つまり飼い主と最後に過ごした場所だ。

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だからサブはその飼い主が戻ってくると信じて、ここで待っているのだ。
そんなサブにどんな罪があるというのか?罪があるのは、彼を遺棄した酷薄で身勝手なニンゲンのほうだろう。
そして、あろうことか同じニンゲンが、なおも追い討ちをかけるようにサブを虐げているとは。
いったい、ニンゲンって‥‥。



サブがまた、水の入ったトレイに近づいていった。
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「サブ、好きなだけ飲みな。無くなったら、また持ってきてやるから」


ニンゲンに裏切られてもなお、サブはニンゲンを慕いつづける‥‥。
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犬と比べて気ままな猫は、忠義、忠節などを持っていないと一般的に思われているが、それは大きな誤解で、ただ猫が犬より自立心が強いというだけだ。


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ちょっと目を離した隙に、サブは眠りに就いてしまった。
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それにしても前回に引き続いて、何とも大胆不敵な寝相である。


あまりの無防備ぶりに、見ているこちらが不安になってくるほどだ。
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近くに住む猫好きおじさんが立ち寄り、やはりサブを心配そうに見つめる。


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ベンチには誰もいなくなり、サブと私だけが残された。
私の目の前で、サブは相変わらず大胆な格好で眠っている。

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“夢寐(むび)にも忘れない”という慣用句があるが、叶わぬ願いなら早く忘れたほうが楽になる。


が、それを今のお前に求めるのは酷かもしれない。
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私も含めて、何人もお前を苦しめる権利など持ってはいないのだから。


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於:郷里のネットカフェ



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姿を消したベンチ猫

1ヶ月半振りに訪れた湘南海岸。
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私の眼前には、未だに夏の名残りが色濃い湘南の海が広がっている。


そんな湘南海岸の景色が、テレビも観ない新聞も読まない、という世間に背を向けたような生活を実家で送った私にはことのほか新鮮に感じられた。
ちなみに私は、ロンドンオリンピックの映像をまったく観ていない。

今回の帰宅は母が全快したからではなく、症状が小康状態になり、また私自身の検査、診察もあるためで、あくまでも一時的なものだ。来月には再び帰省することになっている。



そんな私がまず訪れたのは、実家にいても常に気になっていた『ベンチ猫のサブ』ところだ。
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しかし、ベンチの側にサブの姿はない。
そこで、サブが好んで身を隠していた波消ブロックを中心に念入りに捜してみたが、サブの姿は何処にもなかった。私は、嫌な胸騒ぎがした。



別のエサ場で初対面のエサやりさんが話しかけてきたので、サブのことを訊いてみた。
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すると、その女性もサブのことを知っていて「1ヶ月ほど前に姿を消した」と言った。
さらに「あの場所は、夏は毎日のようにバーベキューや花火をしたりで騒がしかったから、それで他の場所へ移ったんじゃないかしら」と、持論を述べたてた。


しかし‥‥、と私は訝った。
それくらいのことで、頑迷とも思える一途さで飼い主を待っていたサブがあの場所を離れるだろうか?



翌朝も私はサブのいたテラスへまず最初に足を運んだ。
だがやはり、サブの姿は何処にも見えず、誰もいないベンチはひっそりとしていた。

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ベンチの周りには食器ひとつなく、またエサを与えている形跡もなかった。


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知人数人にサブのことを尋ねてみたが、答はやはり、異口同音に「1ヶ月ほど前から姿を見なくなった」というものだった。


ここに至って私は、サブがもうベンチが置かれたテラスを離れたのだと認めざるを得なくなった。
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「サブ、お前は何処へ行ったんだ?他のエリアへ移動したのか、あるいは心優しい人に保護されたのか、それとも‥‥」


私の脳裏にはサブと関わった2ヶ月余りの情景が次々と浮かんできた‥‥。


初夏のある日。
夜来からの雨は小降りになっていたが、初夏の雨はまだ冷たい。それでもベンチから離れないサブ。

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おそらく一晩中ベンチの下で雨の凌いでいたのだろう。しかし、このベンチは雨を完全に防いではくれない。サブの全身はしとどに濡れていた。
体が濡れるのを厭う猫だけに、サブの愚直なまでの忠義に心打たれる。



だがやはり濡れそぼった身体が冷えるのか、
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サブは私の脚に体を擦り付けると、そのまま私の足許にうずくまった。


サブの身の安全を考え今まで発表しなかったが、実をいえばサブは “家” を持っている。
誰の手によるものなのか私は知らないが、テラス近くの防砂林の中に猫ハウスが置いてある。

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私は今までにいくつかの猫ハウスを見たが、その中で一番大きくて最も堅牢なハウスだ。なのに、サブは頑なにこのハウスへ入ろうとしない。


サブの気持ちを推察するに、ハウスの中では、もし飼い主が戻ってきたとき自分の姿を認めてくれないのではと危惧しているのだろう。
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「でもなサブよ、たとえハウスの中にいても、飼い主がお前を本気で連れ戻す気があれば捜してくれるはずだ。心配せず雨の日はハウスに入ってな」


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やがて雨が上がったので、エサを与えてみた。
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すでに食事をしたのだろうか、サブは飢えた様子もなくゆっくりとした調子でカリカリを口に運ぶ。


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やはり腹はそんなに空いていなかったようだ。


そうしているうちに、再び雨が落ちてきた。
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サブはベンチの下へ身を隠したが、ベンチの構造上、雨粒が容赦なく頭上から滴ってくる。
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「お前をして、そこまで待ちつづけさせる元飼い主とはどんなニンゲンなんだ?何度も言うが、お前を裏切り、こんな殺風景な場所へ遺棄したヤツなんだぞ。それでもお前は今でも慕っているというのか!」


サブの毛は雨滴を吸い、さらに逆立ってくる。
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お前を見るたびに、人などとても敵わない猫の強さとニンゲンの弱さ身勝手さを感じさせられる。


サブはベンチ下での雨宿りを諦め、私に歩み寄ってきた。
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そしてさっきより執拗に濡れた体を私の脚に擦り寄せてきた。


こうやっていつまでもお前を守っていたいのだが、そう出来ない事情が私にはある。
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非情なヤツだと誹られても仕方がない。「ごめんな、サブ‥‥」


それからも頑強なまでにベンチから離れようとしなかったサブだったが、やがて少しずつその行動に変化が表れはじめた。


数日後。
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サブは相変わらず懐こい態度で、人を慕いつづけている。


だがこの頃より、サブの行動に明らかな変化が見えはじめた。
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それまでは四六時中、ベンチの側に居座っていたのだが、時折ベンチから離れるようになったのだ。
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前回の記事で、嫌がらせで食器を持ち去るニンゲンがいることを述べたが、そのことと関係があるような気がする。


サブはテラスから、階段上になったブロックの上に跳びおりた。
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そしてそこに静かに体を横たえた。


サブのこの行動を目撃した私は、ある推測をたててみた。
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テラスにはいたくないが、そこからあまり遠くには離れたくない、とサブは考えているのではないだろうか。


その原因は私が懸念していたように、食器を持ち去ったニンゲンが業を煮やして直接サブに矛先を向けたからかもしれない。
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それから、私は以前から感じていたのだが、エサやりさんにも問題がある。
使い終わった食器を置きっぱなしなのだ。
人目につかない防砂林のエサ場ならそれも許されるが、ここは市民の憩いの場、やはり水の入った食器だけ置いて、あとの食器は持ち帰るべきだ。



そういうことが遠因で辛い思いをするのは、結局野良猫たちなのだから。
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野良猫にエサを与えるのにも、守るべきルールは厳然としてあるのだ


サブの身の上に何が起こったのか、目撃していないので本当のところは分からないが、私の推測は大きく外れていないと思っている。
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いずれにせよ身勝手なニンゲンたちの行為が、こうしてサブをテラスから追いやってしまったことは間違いない。


「サブよ、それでもお前は飼い主が戻ってくると信じて、今までどおりここで待ちつづけるのか?」
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私はそんなサブに、これ以上いう言葉をもう持ち合わせていない。


それから、さらに数日後。
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エサを食べた形跡はあるが、サブの姿は見えない。


そこで私はサブの姿を求めて砂浜に下りることにした。
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私は見当をつけて、波消ブロックのほうへ歩いていった。
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いた、サブだ。
テラスから数十メートルも離れた波消ブロックの間からひょっこりと姿を現した。



サブに近づくために、私は砂浜に置かれた波消ブロックを大きく迂回した。
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「サブ、こんなところにいたのか」
名を呼ぶと、サブのほうから近づいてきた。



それにしても、テラスからずいぶん遠くへ移ってきたものだ。
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何かを訴えるようにサブは鳴いたが、残念ながら私には理解できない。


ただベンチの側にいられない事情が出来しただろうことは、容易に想像できる。
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ベンチの側で無防備な姿態を晒しているサブを、何度も目撃した私としては、ここにいるほうが安心ではある。


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ただこのことは取りも直さず、元飼い猫のサブが “野良猫” としての自覚を持った証左だから、それはそれで切ないことだ。


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それから私はしばらく、サブと初夏の湘南の海を眺めて過ごした。


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私が海を眺め油断していた隙に、サブが膝の上に跳び乗ってきた。
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サブを膝に乗せたのは初めてだし、私の記憶が正しければ海岸猫を膝に乗せるのは2年前に病死したミケ以来だ。


人慣れした海岸猫でも、なかなか膝の上には乗ってこない。
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おそらくサブは飼い猫時代に、こうして人の膝に乗っていたのだろう。そのひとときは、サブにとってもニンゲンにとってもこころ和むときであったはず。


やがてサブは私の膝の上で眠ってしまった。
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これはあくまでも自説だが、猫が一番心安らかに眠れる場所は人の膝の上だと思っている。


サブは全身を弛緩させ、私に命を委ねるように深い眠りに入っていった。
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私の膝が感じるのは、軽いが紛れもない命の重み、そしてかけがえのない命の重みだ。


人の命と猫の命の重み、比べるのは不遜で無意味なことくらい私にも分かっている。120906-41.jpg
でも時折、短いゆえに猫の命のほうを重く感じてしまうことがある。
この思いは、その昔某首相が口走った「人の命は地球よりも重い」というまやかしの戯言よりはマトモだと思っているのだが‥‥。



そして、帰省する数日前の早朝。
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この日も、サブはテラスから遠く離れた波消ブロックの端にいた。


そしてブロックから顔だけを出して、道行く人を熱心に観察している。
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この日、私は別のエサ場へ行く予定だったので、サブとはこうして視線を合わせただけだった。


しばらく様子を見ていると、サブはブロックに這い上がり、朝日を背にしてうずくまった。
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おろらくこの頃、サブにとってベンチのあるテラスは、すでに安心して寛げる場所ではなくなっていたのだろう。


サブが向いている西の彼方には、空に張り付いたように富士が姿を見せていた。
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そしてこれが、私が海岸で目にしたサブの最後の姿になった。


その後もサブの行方は杳として知れなかった。
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ところが数日後、サブの情報がゆきママさんのメールによって私にもたらされた。


そして。
私はサブとの再会を果たすことが出来た。




〈次回へつづく〉



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