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wabi

Author:wabi


2008年にうつ病と診断される。
治療の一環として始めた海岸散策。
そこで知り合った海岸猫たちと交流を
深めるうちに彼らの魅力に心惹かれて
2009年10月に旧ブログを開設。
そして2015年9月に当ブログを新設。

★プロフィール写真は元海岸猫の愛猫

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逆境にもめげず健気に そして懸命に
生きぬいている野良猫たちの哀切物語

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2010年1月23日
東京都荒川区東日暮里で行方不明
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青天の霹靂 (前編)

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『 青天の霹靂 』という成句がある。

「予期しない衝撃的な出来事や驚くような変事が起こること」の比喩表現だ。

使い方としては、吉凶いずれを問わず、突然夢想だにしないような事件に逢着したときに「その出来事は私にとって青天の霹靂だった!」などと表現する。

だがこの成句を実際の日常生活で口にすることも耳にすることもほとんどないと言っていい。

たまにスピーチなどで耳にすることがあるが、大抵は文字として目にするに留まる。

ただし言葉として使うかどうかに関係なく、この世界では青天の霹靂と呼ぶに相応しい、予想外の事件が毎日起こっている。

卑近な話で恐縮だが、私の身にもここ数年のあいだに晴天の霹靂と言える出来事がいくつかあった。

そしてこれから書きしるす海岸猫の話もそんな出来事の中のひとつである。





訪れた私を待っていたかように、エリアの入口にひとりの海岸猫の姿があった。



茶トラのオス猫『 シンゲン 』 だ。この海岸猫は、昨年の夏頃にこのエリアへ流れてきた。


去勢手術を受けた印である耳カットを施されているところから、何処かほかのエリア(海岸ではなく街のエリア)で野良猫としては比較的恵まれた境遇にいたと思われる。

それなのにどうして命を賭してまで危険な国道を越えて海岸にやって来たのか、そのへんの事情はまったく不明である。


シンゲン自身も口をかたく閉ざして何も語らない。





『 口を閉ざす 』といってもあくまで比喩であって、大口を開けて欠伸をすることとは無関係である。


シンゲンは大きな体躯をしているし、容貌も強面風だ。
去年ここへ現れた当初はその強面ぶりをいかんなく発揮し、エリアの猫や近づくニンゲンをさかんに威圧していた。


しかしそのシンゲンの行動は、知らない場所へ流れ着いた不安を隠すための強がりだったようで、やがてほかの猫やニンゲンに対して心の扉を開いていった。


先に述べたようにシンゲンは以前のテリトリーでも篤志な人の世話を受けていたのだから、もともと人馴れした猫だったのだ。





そして去勢手術をするからには、その篤志な人はシンゲンをそれなりに大切に思っていたはずだ。
しかし茶トラの猫を捜している人の噂や伝聞の類を私は耳にしていない。



なにはともあれシンゲン自身がここに留まると決めたのだから、余人がとやかく言う筋合いではない。

ただこのエリアで、まるで兄弟のような深い交誼があった “友” との訣別がシンゲンの心に何をもたらしたのか、それだけが気がかりだ。


もうひとりのレギュラー海岸猫に会うため、私はエリアの中心に位置する駐車場に向かった。





よほどこの場所が気に入っているのだろう、シロベエは前回と同じ場所で寛いでいる。そして前回と同様とても穏やかな表情をしていた。このときは、まだ。





シンゲンの欠伸が伝播したにしては、いささかタイムラグがありすぎる。それともこの日の私は、猫たちに欠伸をさせるほど辛気くさい顔をしているのだろうか。


いつ失ったのか、シロベエの上の犬歯が一本欠損していることを、私はこのとき初めて知った。



考えてみれば、これまでシロベエの口の中を仔細に観察したことなどなかった。


もしかしたら2010年12月に消息不明になり、右後ろ脚を負傷して2週間後に戻ってきたが、そのときには既に犬歯も失っていたのかもしれない。



空白の2週間にシロベエの身に何が起こったのか、後ろ脚を損傷させたのは “ 何者 ” なのか、おそらくその謎が解けることはこれから先もないだろう。


シロベエはいきなり身体を起こすと、眼を瞠って何かを凝視し始めた。



そしてその警戒色のこもった視線をゆっくり移動させながら、小さな声を発する。


やがてシロベエは私の背後に視線を定めると、体勢を変えいつでも行動できるように身構えた。

シロベエの撮影を優先していた私はファインダーから眼を離さなかったが、自分の背後へ音もたてず近づいてくるのは誰なのか見当がついていた。









思ったとおりそれはシンゲンだった。
前回もやはり私がシロベエにかまっているときに、いきなり後ろから頭突きをしてきた。

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さっきは欠伸をしてそっぽを向くというにべない態度をしておきながら、ほかの猫に私が関心を示すとこうやってすり寄ってくる。


私がシロベエに近づかなかったら、おそらくシンゲンはさっきの場所で通りを往来するニンゲンを眺めて無聊を慰めていたはずだ。



こういう行動を『 やきもち 』と感じるかもしれないが、識者によれば猫には『 嫉妬 』の感情がないそうだ。

また猫は嫉妬深いなどと巷間言われている。
しかしそれもあくまで嫉妬に似ている感情であって、ニンゲンが持つ嫉妬心とは別物だという。


家猫の場合も新入り猫に対して先住猫が攻撃的になったとしても、それは単純に自分のテリトリーに入り込んだよそ者への怖れや怒りの表れだそうだ。

それに単独行動を旨とし独立独歩を標榜している猫には、自分と他者とを比較して羨んだり自惚れたりする概念がないという。

この説には私も賛同する。なんとなればほかの猫を見て「自分より毛並みがいいな」とか「自分より幸せそうだな」と猫が感じるとは、その気質からして考えられないからだ。


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ちなみに人間の基本的欲求は5段階のピラミッドのように構成されていて、低階層の欲求が充たされると、1段階上の欲求が出てくるという説がある。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローが理論化したマズローの欲求5段階説だ。

「生理的欲求」(食べたい、寝たい)

「安全・安定の欲求」(安全・安心な暮らしがしたい)

「所属と愛の欲求(社会的欲求)」(集団に属したい、仲間が欲しい)

「承認(尊厳)の欲求」(集団から認められたい、尊敬されたい)

「自己実現の欲求」(能力を引き出してあるべき自分になりたい)


おそらく求めるものが多く、そして高次になるほど、それが叶わなかったときの落胆も大きくなり、その副産物として妬みや恨みの感情が生まれるのだろう。

フリーランスの私はさしづめ、いくつかの幸運に恵まれて5階層目に登ったものの確固たる立脚地を築けず、けっきょく2階層目まで転落し、未だにそこで懊悩しているといったところか‥‥。


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では猫の基本的欲求を『 マズローの欲求5段階説 』に当てはめてみよう。

群れを作る動物なら3階層まで望むかもしれないが、独りを好む猫の場合は2階層目に留まりそうだ。

そしてそこまでの階層では『 嫉妬 』の感情が入り込む余地のないことが分かる。

ただ猫の性格によっては、シンゲンのようにかまってほしいとか遊んでほしいという欲求を持つことはあるだろう。

先の攻撃的になる先住猫の例では相性もあるが、飼い主が新入り猫ばかりに心を向けないでふたりを平等に可愛がれば、先住猫が嫉妬に似た感情を露わにすることもなくなるという。

はたして猫に嫉妬の感情はあるのか、ないのか?

正直私には分からない‥‥。

ただこれだけは言える、どちらにせよ私にとって猫は感性豊かな魅力あふれる生き物であり、今では人生の伴侶としてかけがえのない存在になっている、と。


ところで、シロベエとシンゲンの仲はどうなっているのだろう?
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このエリアでは先輩になるシロベエが鼻にしわを寄せた怒りの表情で “ 吠えた ”。


そしてゆっくりと視線を移動させる。おそらく私の死角にいるシンゲンに照準をあわせているのだろう。
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どうやらシロベエとシンゲンの仲は昨年のままか、少なくとも友好的ではないようだ。


私の推測だが、同じエリアで暮らす海岸猫にも暗黙のうちに各々小さなテリトリーがあり、シロベエは駐車場の一画、新参者のシンゲンはエリアの入口付近がそれにあたるのかもしれない。
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だからシロベエは自分のテリトリーを侵したシンゲンに怒りを覚えたのではないだろうか。


以前ならリーダー格のマサムネやシシマルがこの手の諍いを治めていたのだが、彼らがいなくなった今、仲裁に入る海岸猫はひとりもいない。
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そもそもマサムネやシシマルなら各猫がエリア内に自分のテリトリーをつくることを認めなかっただろう。


シロベエが立てていた尻尾を伸ばしたまま低く下げた。これは猫が攻撃的になっているときに見せる仕草である。
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シンゲンの挙動は私には見えないが、シロベエが優位にたっているのはシンゲンから一瞬たりとも眼を離さないことからも明らかだ。


猫同士がケンカを始めたら、側にいるニンゲンはどう対処すればいいのか?

これはあくまでも経験則にもとづく私見だが、原則的に家猫・外猫を問わず傍観すべきだと考えている。

たとえいったん阻止したところで、相性の悪い猫同士はニンゲンがいないときにケンカを繰り返すから、その場しのぎの干渉をしても意味はない。

それに仲裁したことにより優位な猫が不満をつのらせ、のちのちもっと酷い争いに発展する可能性すらある。

さらに言うと、ケンカをすることによって互いの関係がしっかり形成され、その結果として深い友誼を結ぶことだって考えられる。

ただし勝敗が決しているのに執拗に攻撃を加える場合や、一方が逃げ場のないところへ追い詰められた場合は、重傷を負うことがあるので速やかに介入したほうがいい。


私がふたりのあいだから離れると、すぐにシンゲンが後を追ってきた。
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劣勢のシンゲンは別の場所に逃走するより、今は私の側が一番安全だと判断したようだ。


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シロベエも小さな唸り声を発しながらこちらに向かってくる。



〈つづく〉



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痩躯の猫 (後編)

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海岸猫が昼日なか自ら浜に降りることは滅多にない。

浜辺には猫が厭う “大きな水たまり” が眼の前に広がっているし、何よりも遮蔽物や喬木がない浜辺では外敵に対して無防備だと本能的に知っているのだろう。

それに朝夕の時間帯には、注意書きの看板があるにもかかわらず浜で飼い犬のリードを外す不心得者も多い。

そんな海岸猫も信頼しているニンゲンが一緒だと浜に降りてくることがある。

行方知れずになって久しいが、どんぐり眼が特徴のキジ白猫ソックスは私が浜に降りるといつもあとをついてきた。

私はそのことを思い出し、チビ太郎を浜に誘ってみることにした。

といっても私に深謀遠慮があったわけではなく、ただチビ太郎の気散じになればと思っただけである。


チビ太郎は砂浜への降り口で立ちどまり周りを警戒している。

付近に人影も犬の姿もないことは確認済みだが、私はチビ太郎を急かすようなことはせず、砂浜に立って彼がどうするか黙って見守っていた。


辺りに自分の脅威となる者がいないと見極めたのだろう、チビ太郎はこちらにむかって足を踏み出した。





だがその足取りはしなやかな動きが信条の猫にしてはいささかぎこちない。


まるでこの先に自分を陥れる罠が仕掛けてあるのを知っていて、それを察知するために一歩一歩慎重に足を運んでいるように見える。







もしかしたらチビ太郎が明るいうちに浜辺へ降りてくるのは、これが初めてかもしれないなと私は思った。


チビ太郎は急に立ち止ると、背後を振り返る。
ニンゲンの耳には聞こえない胡乱な物音を聴き取ったのだろう。






チビ太郎はそのまま浜辺へ降りる坂の途中に座り込んだ。







そして周囲を注意深く見回し始めた。
チビ太郎がここまで警戒するのを私は初めて見た。やはり浜辺は海岸猫にとって剣呑な場所なのだ。




これでは気散じを味あわせるどころか、チビ太郎によけいな警戒心を抱かせるだけだ。そう思った私は防砂林に戻るつもりでチビ太郎に近づいていった。


ところが何を思ったのか、チビ太郎は不意に腰を上げると、今度はさっきよりやや早足でこちらに向かってきた。







正面からだとチビ太郎の激痩せぶりが際立って見える。
とくに腹部のへこみが、チビ太郎が尋常な状態でないことを雄弁に語っている。



顔にしても頬の肉がすっかり削げ落ち、頭蓋骨に毛皮を貼り付けたような有り様だ。



またぞろ喉を駆け上がってきた嗚咽を私は懸命に呑み込む。


猫が痩せる原因には栄養失調・老齢・ストレス・疾患と様々あり、また疾患の種類も口内炎・糖尿病・腎不全・肝炎・癌など多岐にわたる。

あるいは猫エイズ・伝染性腹膜炎・猫白血病などのウイルス性感染症を発症したとも考えられる。

チビ太郎の年齢は失念してしまったが、初見のときには既にたくましい体躯を持った成猫だった。

あれから6年、したがってチビ太郎は野良猫の平均寿命をとっくに超えている。





ちなみにチビ太郎には、元の飼い主である長靴おじさんが去勢手術を受けさせている。

通常去勢手術を施術されたオス猫はテリトリーが狭くなり、その結果ほかの猫との接触機会も減ってしまう。

さらに性格が穏やかになり攻撃性も減退し、メス猫をめぐるオス同士の喧嘩もしなくなる。

ところがチビ太郎の場合は長靴おじさんが病を得て防砂林から去って独り残されると、ほかのエリアへ足繁く遠征するようになり、ついにはそのエリアの海岸猫たちを駆逐してしまったのだ。

だからその過程で、キャリア猫との喧嘩による咬傷から感染した可能性もなくはない。

チビ太郎の世話をしているボランティアさんなら、その辺の事情を知っていると思われる。





そのボランティアさんの計らいで既に診察を受けて加療中かもしれないし、自然治癒に任せているのかもしれない。

いずれにせよ責任の持てない第三者が口をはさむ事案ではない。

ブログ記事で自宅に住みついた野良猫の世話をしている様子を紹介している管理人に対して、「家猫にしてあげて」とか「猫に期待を持たせるようなことをしないでほしい」などと訴えるコメントをときおり見かけるが、こういう浅薄なコメント投稿者に私は腹立たしさを覚える。

人はそれぞれ明かせない事情を持っているし、できることとできないことの境界線も画然としているし、受容力にも限界があって、それらを知らない他人にとやかく言う権利などない。

上記のようなコメントを書きそうな思考傾向を自覚している人に僭越ながら忠告しておく。

自分の物差しで他人を測ることは、はなはだ無礼であり、また傲岸不遜きわまりないことだと認識してほしい。


チビ太郎は踵をかえすと、私がいる場所とは逆の方へ歩きだした。
私は慌ててチビ太郎に駆け寄り、更に撮影するために彼の正面に回り込んだ。




いったい何処へ行こうとしているのか私が知る由もないが、チビ太郎の足取りは確固たる目的があるかのようにしっかりしている。


チビ太郎の行く手には最近打ち上げられたと思われる流木が転がっていた。





「なるほど、そういうことか」私は大きく頷く。
樹皮が剥がれ一度水に浸かった流木は、爪研ぎに塩梅がいいのだろうか。






夜行性の猫のこと、もしかしたらチビ太郎はニンゲンがいなくなった夜に浜へ出て、この流木で爪を研いでいるのかもしれない。


私は過去に幾度か運動不足解消のために、夜の海岸を散歩した経験がある。

そしてその際浜に降りている顔見知りの海岸猫と何度か遭遇した。

最近ではリンとランの姉妹に会ったが、ランは声をかけると私だとすぐに気付いて近づいてきたのに、リンはいくら話しかけても私だと認識できずに防砂林の中へ逃げ込んでしまった。


それにしても‥‥、



自ら招いた状況とはいえ、チビ太郎はいつも独りで寂しくないのだろうか?


長靴おじさんの庇護のもとでミケとともに暮らしていたときも、結局ミケを追い出してしまった。



そして今回もエリアの一員として加わることができず、そこに暮らす海岸猫たちを一掃するという大胆な行動に出た。


単独行動が持ち前の猫とはいえ、何故チビ太郎はそこまで他者を排斥するのだろう?



生まれ持った性質なのか、それとも長靴おじさんと出会うまでの幼い時期に誘因となる出来事があったのだろうか?


チビ太郎はいわゆる “捨て猫” であって、仔猫のときに海岸に遺棄されているのを長靴おじさんが発見し保護した。





そのときには既に眼を病んでいたという。もしかしたら眼病が原因で兄弟たちの苛めに遭ったのかもしれない。


そして捨てられた理由も病んだ眼にあったのかもしれない。
長靴おじさんの話では捨てられていたのはチビ太郎ひとりだったというから、その可能性は高い。




兄弟から疎外され、信じていたニンゲンに裏切られたことがチビ太郎の性格形成に何らかの影響を及ぼしたのであれば、誰にも彼を責めることはできない。


更に数年前には苦楽をともにしていた長靴おじさんが病に倒れ、チビ太郎を残してテント小屋を出ていってしまった。





ただ2度目の出来事はいわば予想外の事態であって、チビ太郎を残していくことは長靴おじさんにとって断腸の思いだったはずだ。


しかし事情が理解できないチビ太郎にしてみれば信じていたニンゲンにまた裏切られたと思っただろう。



それに理由の如何を問わず、チビ太郎がニンゲンの都合によって2度も見捨てられたことは厳然たる事実である。


こうして海を眼の前にして、チビ太郎の脳裏に去来するものはいったい何なのだろう?



猫の心中を忖度しても答を知るすべがあるわけでもなく、しょせんは無益な行為だと分かっているのだが、私はついつい想像を巡らせてしまう。


チビ太郎の胸中に去来するのは、自分がまだ母や兄弟たちと暮らしていた遠い過去の記憶なのだろうか、はたまた防砂林の中で長靴おじさんと寝食をともにした記憶なのか、私の想像は時空を超えて迷走する。

やがて想像の翼は現在の長靴おじさんのところへ私を運んでいく。

何処かの病院のベッドの上で今も治療を受けているのだろうか?

あるいは既に退院を果たして役所が取りなした住居で暮らしているのだろうか?

ひょっとしたら‥‥。

想像の翼は不吉な領域の手前で羽ばたくのを止めた。そして私は現実の世界に落ちてきた。















チビ太郎、悪いけど今の私にこの境遇からお前を救い出す力はないんだ。

私にできるのはときどき様子を見に来ることと、祈ることだけだ。


「チビ太郎、簡単に死ぬなよ。いつの日にか長靴おじさんと一緒に暮らせることを信じて、とにかく生きろ」



〈了〉



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