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wabi

Author:wabi


治療の一環として始めた海岸散策
そこで知り合った海岸猫たちと交流を
深めるうちに彼らの魅力に心惹かれて2009年10月に旧ブログを開設

そして2015年9月に当ブログへ移転

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往く者・来る者 (後編 2)

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5日後、私はまたシシマルエリアに足を運んだ。

前回訪れたのはその前に初めて見かけたシャムMixが気にかかったためだが、今回はエリアに突然あらわれた黒猫がその後どうなったかどうしても知りたかった。

以前にも述べたように、ここ数年のあいだに海岸猫の数は激減している。

5、6年前から比べると、個々の経緯は様々だが7割ほどの猫が海岸から去っていった。

だが最近になって前述のシャムMixや黒猫のように、ぎゃくに海岸へやってきた野良とおぼしき猫を目撃するようになった。

今回も黒猫の様子とともに、そんな猫たちを紹介しよう。


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記事にはしていないのだが、自宅からもっとも近いエサ場ということもあって、海岸へ行った際にはランの様子をうかがうのが半ば私の慣習になっている。

この日もシシマルエリアへ向かう途中、ランエリアに立ち寄った。


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防砂林へ入るやいなや、ひとりの茶トラ猫が灌木の中でぽつねんとしている姿が目に飛びこんできた。

《そうか、この茶トラだったのか‥‥》私は思わず独りごちる。

がっちりした体躯をもつこの茶トラと私はこのときが初対面ではなかった。


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実は、前日の夕刻にランエリアの近くでたまたま会った知人と立ち話をしている際、海岸沿いの道路を横断する茶トラを目撃している。

茶トラはすぐに防砂林脇の植込みに姿を消したので、私がその姿を目にしたのは寸秒の間だった。

そうそう頻繁に見知らぬ猫が海岸に出没することはないという先入観があったので、シシマルエリアからはそれなりの距離はあったが、そのときはてっきりシンゲンが出張ってきたと思ったのだ。


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この茶トラをそれまで海岸で見かけたことはついぞなく、どういういきさつがあったのか分からないが、やはり左眼を負傷した黒猫と同様に街からやってきたと思われた。


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野良猫とは思えない柔和な表情をしているので敵意や害意を抱いていそうにないが、茶トラは私が来たときからランをじっと見つめている。


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そのランは茶トラの存在を知ってか知らでか、のんびりと毛づくろいをしていた。


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香箱をつくっているところを見ると、茶トラも思いのほかリラックスしているらしい。

そこで私は「お前は何処から来たんだ?昨日からずっと海岸にいるのか?」と訊いてみたが、茶トラはこのおっさん何を言っているんだ、という風情で静かに見つめかえしてくるばかりだ。

街中から海岸へ出張ってくる行動範囲の広さから、この茶トラはおそらく雄だと思われる。


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それにしてもランの呑気な様子を見ているうちに、野良猫としての自覚が欠如しているのではといささか心配になってきた。

しかし‥‥。


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眼を閉じて一見まどろんでいるように見えるランだが、鋭い指向性と高い感度を有する耳だけはしっかり茶トラのいるほうに向けていることを見逃してはいけない。

だからもしランが茶トラの存在を知っていて、なおかつこういう態度をとっているのなら、相当に肝が据わっているといえる。


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ここにいても埒があかないと悟ったのか、しばらくすると茶トラは灌木の奥へ姿を消した。

その直前に私のほうを顧みた茶トラの表情は、なにかなし憂いを含んでいるようだった。

「元気でな‥‥」行くあてがあるのか気になったが、私には茶トラにそう声をかけるしかすべがなかった。


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ランのエサ場をあとにした私は、一路シシマルエリアへと向かった。


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エリアに着いた私を最初に迎えたのは、生え抜きの海岸猫すべてがいなくなったせいで棚ぼた式に登りつめたとはいえ、いまやこのエリアのボス的存在となったシロベエだった。※〔1〕


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シロベエ自身にも自覚が生まれたのか、その立ち振るまいに尊大さを感じるのは、あながち私の錯覚だとも言いきれない。


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実際にこの駐車場の中心に近く、そして比較的高くて眺望のきく場所に陣取っているシロベエの姿態は、まるで玉座に横たわる王のようだ。

たとえ誰ひとり従属せず、何ひとつ権力がないとしても‥‥。


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とはいえ仔猫ならいざ知らず、成猫にとって独りでいることはごく当たり前の状況であって、それにより痛痒を感じることはないはずだ。


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だとするなら、現状はシロベエにしてみれば今までにないほど心地よいものなのかもしれない。


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“玉座” で昼寝をはじめたシロベエをそのままにして、私はエサ場に誰かいないか調べることにした。


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そして駐車場を出てエサ場へ向かっていると、道路を横断しているシンゲンの後ろ姿が目に入った。

目的はちがっても、どうやらシンゲンと私の行き先は同じようだ。


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ところがてっきりエサ場へ行くものと思っていたシンゲンは、エサ場の中をちらりと見ただけでそのまま通り過ぎていく。

私もエサ場をのぞいてみたが、中には誰もいなかった。ということはつまり、先客のいるのを知ってシンゲンが遠慮したわけではない。

《いったい何処へ行こうとしているんだ、シンゲンは‥‥?》私はいぶかった。


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くつろぐなら好適な場所が駐車場にいくつもあるのに、そうしないということはやはりシロベエに気がねしているからだろう。


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考えてみれば、義兄として、また強力な後ろ盾として頼りにしていたコジローのいなくなった今が、シンゲンにとって最もつらいときかもしれない。※〔2〕


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硬いコンクリートであっても、今のシンゲンにはシロベエの目が届かないというだけで心穏やかでいられるのだろう。


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ここにきてシンゲンは、はじめて私と目をあわせた。「なんだおっさん、いたのか」という風に。

私の存在などとっくに気づいていたはず、なのにどういった理由によるかは知らないが、猫はよくこういう見えすいたマネをする。


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私は思わず「おおっ」と声をあげた。

なんとなれば、シンゲンの『ヘソ天ローリング』を見たのは初めてだったからだ。※〔3〕


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シンゲンのいかにも猫らしい仕草を見ても、素直に「かわいい」と思えないのは、やはり彼が強面であるからで‥‥、

本来は人に対するのと同様に面構えで判断してはいけないのだが、猫の愛らしさはとどのつまり顔だちなんだなあ、とあらためて痛感した光景だ。※〔4〕

シンゲンにはたいへん申し訳ないのだが、こればかりはしかたがない。


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駐車場に戻ってみると黒猫の姿があった。

黒猫は心地よい海風を受けながらつかの間の眠りに就いていた。


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私の気配に気づいたのだろう、黒猫はわずらわしそうに眼を開けた。

だがまぶた以外を動かすつもりは毛頭ないようで、あくまでも鷹揚にかまえている。

黒猫のその態度は、このエリアに何年も住みつづけている古参猫の風格を感じさせるほどだ。


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ところで「黒猫が目の前を横切ると不吉」だとか「黒猫は悪魔の使い」などと巷間言われているが、どちらも迷妄的信仰(迷妄)の類である。

元来日本において黒猫は『福猫』といわれて幸福の象徴だった

それに「黒猫には魔除けの力がある」とか「黒猫を飼うと病気が治る」などと信じられていて、通説によると沖田総司が労咳(肺結核)の完治を願って黒猫を飼っていたと言われている。

(ちなみに『吾輩は猫である』のモデルとなったのは夏目漱石自身が飼っていた元野良の黒猫である)

ところが明治以降に欧米の文化が日本に流入してきたおりに、「黒猫は不吉」という迷信も一緒に入ってきた。

そもそもそんな迷信が生まれたのはヨーロッパにおいておこなわれた『魔女狩り』の際に「黒猫は魔女の使い」などという根拠のない話が流布されたためだ。

そして黒いという理由だけで、黒猫は魔女とされた人たちとともに殺害された。

イタリアでは魔女狩りの名残りとして、今でも毎年6万匹もの黒猫が殺されつづけている。


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ここにほかの国における黒猫の扱いについて記しておく。

イングランド:黒猫が道を渡ったり自宅に入ってきたら縁起がよい。結婚祝いに黒猫を送ると新婦に幸せがおとずれる。

スコットランド:玄関先に見知らぬ黒猫がいたら、その家に繁栄がもたらされる。

アメリカ:黒猫が横切ると不幸が、白猫が横切ると幸運がもたらされる。

ベルギー:イーペルという町では19世紀末まで時計塔から黒猫を落として殺すという行事がおこなわれていた。
(現在はその反省として生きた黒猫の代わりにぬいぐるみを落とし、それを受けとめた人は幸運になるという祭りが催されている)


黒猫を「幸福の象徴」として捉えるのも「不幸の象徴」として捉えるのも、ともに迷信だが、少なくとも良い前兆として受けとめた場合には、いわれのない迫害や虐殺は起こりえない。

(どだい皮膚の色や毛の色で不当な差別をするのはニンゲンだけだ)

どうせ誤って信じるのなら‥‥、猫もニンゲンも幸せになれるほうを選ぶべきだ、と私は思う。


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だから私の身にもいずれ良いことが起こると信じたい。いや、ここははっきり「信じる」と言っておこう。

(皆さんも黒猫を見かけたら吉兆と思い、更に黒猫を家族として迎えれば幸せと繁栄がおとずれると信じましょう)


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《それにしても‥‥》と私は首をかしげた。

黒猫は駐車場にいる。しかも死角になっているとはいえ、シロベエの目と鼻の先、4メートルほどのところにいる。


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それも黒猫は物陰に隠れているわけではなく、すぐ目につくところでのんびりくつろいでいるのだ。

だからシロベエはとうぜん気づいているはず。にもかかわらず、示威的な行動を起こさないのはどうしてなんだろう?


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すでに黒猫と一戦交えて被毛の色のごとく “白黒” ついたのだろうか、それとも平和裏に野良猫社会における協定のようなものが結ばれたのだろうか。


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いずれにしろシロベエとの付き合いもすでに6年になるのだが、私はこの海岸猫の性格がいまだにつかめない。

野良猫にはさして珍しくないが、シロベエもいつ何処で生まれたのかなどの生い立ちに関することはいっさい分かっていない。

ある日突然このエリアに現れて、そのまま住みついてしまったのだ。


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その頃このエリアは大所帯だったのだが、シロベエはほかの猫たちにうとんじられていた。

それというのも、この海岸猫の行動がいささか奇矯だったので、皆が「触らぬ神に祟りなし」とばかりに関わりを避けていたからだ。


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個々の出来事はさすがに忘れてしまったが、ひとつ実例を挙げると、シロベエがこれといった理由もなく周りのいる仲間にいきなり喧嘩を吹っかけている現場をいくどか目撃した。

コジローにいたっては、そういう予測不能な行動をとるシロベエを蛇蝎のごとく嫌い、自分からはけっして近寄らなかった。

そしてシロベエがエリア内でうろついているときには、コジローは隣接するべつのエリアへ一時的に避難していたくらいだ。


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エリアに波風を立ててばかりいるそんなシロベエのことを、私はいつしか「空気が読めない奴」と呼ぶようになった。

ただ幼い猫たちには不思議と慕われ、ともに里親さんに引き取られた『新入り猫』や『ツバサ』とじゃれあっている光景をよく見かけたものだ。

まあなにはともあれ‥‥。


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新参の黒猫も落ちついた様子だったし、シロベエとシンゲンの姿も確認できたし、これでこのエリアにおける私の目的はほぼ達成された。

そこで、来る途中で会った茶トラのその後とひとりでいるランのことが気になっていたので、このエリアでの撮影を終えて、ランのところへふたたび行ってみようと思った。

そんな矢先だった。

出し抜けに甲高い猫の鳴き声、というより叫び声が駐車場に響きわたったのは。


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その第一声をきっかけに、叫び声が断続的に聞こえてきた。

シロベエも毛づくろいを中断してあたりを見まわしている。

鳴いているのは黒猫ではないし、シンゲンでもない。

一瞬、先日見かけたシャムMixの顔が頭に浮かんできたが、私はすぐにそれを打ち消した。

人目を避けてひっそりと暮らしている野良猫は、よほどのことがないかぎり鳴いたりしないものだ。それもこんな大声では‥‥。


「いったい誰がこんな派手な声で鳴いているんだ!?」


私は鳴き声をたよりに駐車場の奥へとゆっくり歩いていった。

しかし砂利のまじった土の駐車場、どうしても足音は立ってしまう。

その私の足音を聞きつけたのだろう、途中でその鳴き声はぴたりと止んだ。


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果たして、駐車場の隅にひとりのアメショー柄のキジ白猫がうずくまっていた

まだ幼さが残るこのキジ白とは初対面だ。


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初見の海岸猫に言う決まり文句が、私の口から思わずついて出た。

「お前は誰だ?何処から来たんだ?」


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しかし私の顔をしばらく見つめたキジ白は、正面に向きなおりふたたび大きな鳴き声をあげた。

まるで誰かに苦情を申し立てるような調子で。


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面差しや身体の大きさから推して、このキジ白は去年の秋に生まれたのだろう。

また初対面のニンゲンが側にいるにもかかわらず、逃げる素振りも見せないで安楽に香箱をつくっている人馴れした態度から、無慈悲なニンゲンの手によって遺棄された捨て猫だと思われる。

あらたに黒猫が加わったことで少々複雑な状況になったとはいえ、比較的平穏なこのエリアに波乱を起こすのは意外にもこの幼いキジ白なのだ。

さらには安泰だと思われたシロベエの地歩をおびやかすのもこの子なのだが、その模様はべつの機会に紹介したいと思う。


ただこれだけは皆さまにお伝えしておきたい。

このアメショー柄のキジ白の子の里親さんを募集しているということを。

詳細は里親募集のページ危険な防砂林から仔猫を救って!を参照してください。



〈了〉



脚注
※〔1〕仲間と群れない猫の社会にいわゆるヒエラルキーは存在しないが、個体同士の間には序列が介在している。
※〔2〕コジローがいなくなった経緯は『青天の霹靂 (後編 2)』を参照されたい。
※〔3〕ヘソ天ローリング:私が勝手につくった造語で、ヘソ天のポーズのまま身体を左右にゆらすことを言う。
※〔4〕『猫の愛らしさはとどのつまり顔だちなんだ』というのは「猫の可愛さ」について論じただけで、
       シンゲンを貶めているわけでも差別しているわけでもない。念のため。



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往く者・来る者 (後編 1)

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エリアにおける序列をシロベエが少々露骨な方法でシンゲンに因果を含ませてから3日後、私はまたシシマルエリアを訪れた。

こんな短いスパンでこのエリアを再訪するのは実に久しぶりのことだ。

とはいっても、シロベエとシンゲンの諍いに心を砕いたわけではない。

だいたいにおいてシロベエとシンゲンが起こすあの手の小競り合いは常態化していると思われ、いまさら一時しのぎの仲裁などしてもなんの意味もないことは明らかだ。

それに、そもそも野良猫社会には彼・彼女らなりの確固とした秩序や掟があり、ニンゲンが介入する余地など端からありはしない。

私の目的は、あくまでもあの日に初めて姿を見せたシャムMixの動向を知ることだった。


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ところがエサ場を中心として、その周辺の駐車場や空き地をひととおり捜してみたが、シャムMixの姿はどこにもなかった。

《やはりシャムMixはこのエリアで暮らしているのではなく、あの日たまたま通りかかっただけなのか?》


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シャムMixを捜しているときに、自身は草むらに身を隠しているつもりなのかもしれないが、実際は100メートル先からでも見分けられる状態のシンゲンに会った。


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シンゲンは私が近づいて話しかけても、心ここにあらずといった風でこれといった反応をしめさない。

焦点の定まらないぼんやりとした目つきをして、表情も何やら屈託ありげだ。

もしかしたらシロベエとの軋轢のせいで心身ともに疲弊しているかもしれず、そうであるなら今はそっとしてほしいだろうから、私は「シンゲン、またな」と一言声をかけてその場をはなれた。


私はそれから無駄だとは思ったが、シャムMixの姿を求めて先日彼女が去っていったのとは逆の方角へも足を延ばした。


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エサ場から少し離れた駐車場のそばを通りかかったとき、私の視界の片隅を小さな影がよぎった


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はっとして、反射的に振りかえるとそれは黒猫だった。

一瞬、数年前にこのエリアから突然姿を消した『クロベエ』が帰ってきたのかと思ったのだが、体付きが明らかに違っている。

「違う黒猫だ!」私は心の中で思わず声をあげた。


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黒猫は私の存在を気にとめることなく物陰に姿を消した。

そこで私は足音を忍ばせてゆっくりと障害物の反対側にまわりこんだ。


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そうして古タイヤの脇にうずくまっている黒猫と私は向かい合った。

これまでここで黒猫の姿を見たのは、先述したエリア生え抜きのクロベエだけだ。


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猫の被毛の柄は千差万別だが、ソリッドタイプの白と黒は個体選別が難しい。とりわけ黒猫の識別は難度が高い。(あくまでも私にとってはということだが)

だからこの黒猫とは今回が初見になるのか‥‥、私に確信はない。


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それというのも、ひと月ほど前から黒猫を何度か目撃しているからだ。

* * *

まず海岸において黒猫を最初に目撃したのはランエリアだった。

灌木の奥に腹ばってじっとランの様子をうかがっている黒猫をたまたま発見した。

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私を見つめる黒猫の双眸には警戒心とか猜疑心といったものがあまり感じられない。

この黒猫とは初見かと思ったのだが、実は数日前にここから200メートルほど離れた場所で体付きのよく似た黒猫を私は目撃していた。


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ただし、そこは海岸ではなく国道の反対側の市道で、そのとき黒猫は海岸とは逆の方角へ歩いていて、そのままとある民家の門扉の下をするりとくぐっていった。

むろんその黒猫が目の前にいる黒猫と同一なのかは断言できないが、距離的にも更に猫全体に占める黒猫の割合を考えても、同じ猫である可能性は極めて高い。

そしてそうであるのなら、飼い猫が命を賭してまで交通量の多い国道を渡って海岸まで来ることは考えられないので、おそらく野良猫だと思われる。


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このとき、ランはお気に入りの場所でのんびりくつろいでいた。

表情にも警戒感や緊張感は微塵も感じられない。

黒猫の存在に気づいていないのか、それとも気づいていながら黙殺しているのか、私には判断がつきかねた。

私が写真を撮るために近づくと、黒猫は身体をひるがえして防砂林の奥へ逃げてしまった。


それから3日後の同じ夕刻だった。

私がランエリアを訪れたとき、すでに黒猫がいて、ランと2メートルほどの距離で対峙していた。

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ランは前回とは打って変わった緊張した面持ちで一瞬たりとも黒猫から眼をはなさず、その動きを追う。


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一方の黒猫はというと、顔貌がずいぶんと変わっていた。

防砂林のいたるところに張り巡らされている蜘蛛の巣を顔面にくっつけているのは仕方ないが、左眼が半分以上ふさがっている。


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黒猫が前回と同じように灌木の中に入りこんだために、ふたりの隔たりは4メートルほどに広がる。

そのせいか、さきほどの張りつめた緊張感はいくぶん薄れ、ランも落ち着きを取りもどしている。


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黒猫の顔をよく見ると、左眼の上に引っかかれたような傷がある。

おそらくはほかの猫と喧嘩をして負ったもので、その傷せいで左眼がふさがっているのだろう。


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私が来てからすでに20分以上が経過している。

リンと黒猫はその前から相対していたのだから、猫同士の睨み合いにしてはいささか長い。


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膠着状態にしびれを切らしたのか、黒猫は灌木の更に奥へ引っこんでしまう。

冒頭で述べたように、野良猫同士の諍いにニンゲンが介入しても根本的な解決にはならないので、私はふたりをそのままにしてその場から立ち去った。


そしてつぎにこの黒猫と遭遇したのは5日後、リンエリアでのことだった。

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黒猫の眼の状態は更に悪化し、左眼は完全にふさがっていた。

飼い猫ならなんらかの治療を受けているはずだから、やはりこの黒猫は野良猫であり、そして命をかけて国道を渡らなければならない事情があったのだろう。


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左眼の傷が物語るように、ほかの猫との争いにやぶれて、もともとの定住地から離れざるを得なくなったのかもしれない。


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そのとき、私の視界の左隅にサキが現れた。どうやらサキも黒猫の存在に気づいたようだ。


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見ていると、サキは姿勢を低く保って、字義どおり抜き足差し足で黒猫へ近づいていく。


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そしてその動きは、まるでスローモーションかコマ送りのような極めてゆっくりとしたもので、少なくとも私の耳には足音はまったく聞こえない。


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しばらくして灌木の茂みの中から枯れ葉を踏む足音がひとしきり聞こえてきたが、ふたりが争っている様子はなく、やがて静寂がおとずれた。


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踏み分け道を使って灌木の茂みの反対側にまわり込んでみると、黒猫の姿は既になく、サキがあたりの匂いをさかんに嗅いでいた。


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おそらくは黒猫が残していった匂いからその正体を探っているのだろう。

ちなみに猫の臭覚は犬にはおよばないものの、ニンゲンの1万倍から10万倍と言われている。


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ただならぬ気配を察知したのだろう、サキの母であるリンも現場にやって来ては娘と同様に下草の匂いを入念にしらべはじめた。


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リンの表情は刃物のように鋭い。おおかた自分のテリトリーを侵犯した相手に思いを巡らせているのだろう。


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幼いサキにとっては、自分のテリトリーに見知らぬ黒猫が侵入してきたことがショックだったのか、目を瞠って不安げな表情を見せている。※〔1〕


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娘を見つめかえすリンの表情は険しい。「これくらいことであたふたするんじゃないわよ!」とでも母として、また野良猫の先輩としていましめているのかもしれない。


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結局この黒猫は、私の知るかぎりにおいては3度海岸猫のエサ場近くに出没した。

その後、ぱたりと姿を見せなくなったので、街へ戻ったのだろうと思っていたのだが‥‥。

* * *

だからもし同じ黒猫ならこの日が4度目の遭遇になるのだが、はたしてそうなのだろうか?

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いくぶん丸みをおびた顔の輪郭など類似点はある。しかし、いかんせん同一猫だと断定できる決定的な特徴が見あたらない。


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あの黒猫なら左眼の傷は完治していることになり、それはそれで喜ばしいことなのだが‥‥。

と、そのとき私の背後から猫の鳴き声が聞こえてきた。


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振りかえって見ると、声の主はシロベエだった。


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私には理由など知る由もないが、シロベエはご機嫌斜めなようで、断続的に甲高い声を発している。

この海岸猫は2010年の12月に突然エリアから姿を消した。

2週間後にひょっこり帰ってきたのだが、そのときには右後ろ脚を脱臼していた。


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だから歩く際などに、脱臼した右脚に重心がかかると腰ががくりと沈んでしまう。

ただシロベエ自身が痛みを感じている様子は見られないし、走ることや跳躍することに支障があるようにも感じられない。


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シロベエの状態を見ていると、おそらくは関節がずれただけの『亜脱臼』ではなく、関節がはずれた『完全脱臼』だと思われ、そうであるのなら治療には全身麻酔での手術とリハビリが不可欠だ。

手術費用は数十万円かかり、また完治までは関節部を固定して数ヵ月を要すると言われている。

野良猫にそのような治療を施すのは現実的ではなく、だからボランティアさんも放置せざるを得なかったのだろう。


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それはともかくとして、のんびりと草を食んでいるシロベエだが、私が気になるのは黒猫の存在を知っているのか、ということだ。

縄張り意識がことさら強いシロベエのことだから、ほかの猫が駐車場に現れたとなると、心中穏やかでいられるはずがない。


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黒猫の出現によってこのエリアにおける序列や力関係に、なんらかの波紋が生じるのだろうか?

更には前回記したように、この黒猫がシロベエの地歩をおびやかす存在になるのだろうか?

これらの疑問に対する答えは次回に譲ることにする。



〈つづく〉



脚注
※〔1〕発情していない雌猫は雄猫を近づけないし、場合によっては攻撃を加える。



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往く者・来る者 (中編)

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どのような事情があってシンゲンが海岸へやって来たのかは不明だが、去勢手術を施されていることから(耳カットもされている)、以前暮らしていたところではそれなりの処遇を受けていたと推察される。

またそういう境遇に置かれていたことから、おそらくはシロベエのようにニンゲンの手により遺棄されたのではなく、自らの足で海岸へ移ってきたと思われた。


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そうしてこのエリアへやって来た当初のシンゲンは、なんの理由もなくほかの海岸猫を恫喝したり食事を横取りしたりと、はなはだ不遜な振るまいを見せていた。

おそらくそれらの行為は、シンゲンにとってあらたな環境に対する不安を払拭するための虚勢であり、エリアにおける自分の序列をあたうかぎり高いものにするための示威だったのだろう。

さながらやんちゃな転校生が空威張りによって、自分を実際より強く思わせるように‥‥。


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だがそんなシンゲンの目論見は、シロベエによっていともあっさりと、そして完膚なきまでに粉砕される。


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シロベエの一喝に縮みあがって遁走したのを機に、このエリアにおけるシンゲンの序列は最下段近くまで一気に落ちてしまった。


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ところがシンゲンはそのあと、シロベエも一目置いているエリア生え抜きのコジローに取り入って自分に有利な地歩を築くという抜け目のなさを見せた。

言うなれば、「虎の威を借る狐」ならぬ「先住猫の威を借る新参猫」を画策したわけだ。


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しかしそんな遣り口はしょせん一時のがれの弥縫策であり、世の常としてそういうものはいずれ破綻する運命にある。

シンゲンの場合もその例にもれず、頼りとしていたコジローがエリアを去ったために、彼のはかりごとは水泡に帰した。

まあこうやって振りかえってみると、猫の社会もニンゲン社会と同様にそれなりに複雑でなかなか厄介なもののようだ。


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塀の向こう側に姿を消したシンゲンの動きを予測したのだろう、シロベエは不自由な後ろ脚を引きずりながらも足早に移動していった。


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一方のシンゲンは、そんなシロベエの動きを知ってか知らでか、門扉に向かって民家の駐車スペースをのんびりと歩いてくる。


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そして待ち構えていたシロベエと顔をあわせると、シンゲンは先ほどより若干威勢のいい声を発した。


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しかしシロベエはシンゲンの声など歯牙にもかけずに昂然とした足どりで近づいていく。

シンゲンは更に大きく甲高い声をあげるが、ふたりの優劣は尻尾の状態を見れば一目瞭然だ

自信たっぷりに尻尾を高く上げているシロベエに対して、シンゲンの尻尾は下げられている。

こちらからは確認できないが、おそらくシンゲンの尻尾は体の近くに引き寄せられていると思われ、これは相手に対する恐怖心や服従心の表れだ。


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と、ここで敵対心がないことをしめすために互いの鼻を近づけて相手の匂いを嗅ぐという、いわゆる『鼻キス』がおこなわれる。

予想外のなりゆきに私はちょっと驚いた。

シンゲンは思いがけないシロベエの出方にいくぶん緊張を緩めた様子だ。

がしかし‥‥。


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つぎの瞬間、シロベエはあたりに響きわたるひときわ大きな声を発してシンゲンを威圧した。

するとシンゲンはたちまち耳を寝かせ、姿勢を低くして防御態勢をとる。

シロベエがいつどこで習得したのか知らないが、この脅し方はきわめて実用的で効果的だな、と私は妙に感心した。


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なんとなれば間断なく威嚇しつづけるよりも、相手をいっとき安心させてから態度を豹変して脅せば、与える恐怖が増大するからだ。

それを証明するように、シロベエが甲高い唸り声をあげるたびにシンゲンは身体をこわばらせ、か細い哀訴の声をもらしている。


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ニンゲンの場合だって、体力的にも状況的にも絶対敵わない相手に脅しとすかしを巧妙に使い分けられたら失禁するほどびびってしまうだろう。

《剣呑、剣呑‥‥、シロベエみたいなニンゲンが周りにいなくてよかった》と私は思う。


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シンゲンは自分を卑小化させるために身体を縮めて地面に腹ばい、シロベエの顔色をうかがいながら哀しげな声をあげつづける。

「ボクはあたなに逆らいません。何故ならボクの身体はこんなに小さく力もないからです。だから許してください」とでも訴えているのだろうか?

だがあいにく私は “猫語があまり得意ではない” ので正確なところは分からない。

けれど言いまわしは違ったとしても、意味合いにおいてはおそらくそんなに大きく外れていない、と私は思っている。


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極度の緊張感に耐えられなくなったのだろう、シンゲンは逃げ去った。後ろも見ないでまさに脱兎のごとく走り去った。

シロベエはだから、シンゲンのそんな周章ぶりを見て目的を達成したと思ったのか、後を追おうとはしない。


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シロベエからあるていどの距離を確保し、いわば安全圏に移動したにもかかわらず、シンゲンは耳をやや外に向け、背中を湾曲させ、尻尾を力なく下に垂らしている。

この体勢を見れば分かるように、シンゲンはいまだ恐怖にとらわれているのだ。


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ふたりの隔たりはおおよそ10メートル、それだけ遠ざかってもシロベエはシンゲンから眼を逸らさず彼の挙動を注視しつづけている。


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前回の記事で述べたように、猫同士にも相性の良し悪しがある。ただシンゲンとシロベエの場合にかぎれば、シロベエが一方的にシンゲンを嫌っている印象をうける。

ただその要因は分からない。だから単純に「虫が好かない」とか「なんとなく嫌いだ」とかの理由にならない理由かもしれない、と私自身は感じている。


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ちなみに、猫の性格を決定するのは父親の遺伝子であり、それによって『豪胆・大胆』と『臆病・小心』に大別される、という説がある。

さてそれではシンゲンの性格はどちらに当てはまるのか、と考えてみたのだが‥‥、私には判断がつきかね、「どちらとも言えない」と答えるしかない。


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このエリアに現れた当初のシンゲンは強面ぶりをいかんなく発揮し、先述したようにほかの猫の食事を奪い取ったりする傍若無人な行動が目立っていた。


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また私に対しても敵意をあらわにし、悪鬼のごとき形相で凄んできたものだ。


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私はだから、この時点でシンゲンの性格は『豪胆・大胆』だと思っていた。


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ところがそれ以後のシンゲンはすっかりおとなしくなった‥‥、というか、シロベエによって手もなくはぎ取られた強がりの仮面は二度とかぶらなかった。


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だからシンゲンは外面的にいかつく見えても、実際は気弱で温順な猫なのかもしれない、と私は思っている。

それにもしかしたら、その上辺と中身の落差・ギャップが原因で、仲間から疎んじられて元の定住地を離れたのでは、とも思う。

そしてシロベエにいくら敵対視されようが、いまだにこのエリアで暮らしつづけているということは、以前いたところではもっとひどい目にあっていた可能性もある。


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それはともかく、久しぶりにシンゲンを見た私には少しばかり気がかりなことがある。

慧眼な読者のうちには、すでにお気づきの方もいらっしゃると思うが‥‥。

回想シーンに挿入した2年前の写真と比べて、現在のシンゲンはかなり痩せている。

もし別の場所でシンゲンと会っていたなら、同一猫とは思わなかったかもしれないほどの変わり様だ。


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猫が、それも野良猫が痩せるのはけっして良い兆候ではなく、栄養不良か罹患している可能性も考えられる。

ただ2年前のシンゲンはいささか太り気味だったので、今が標準体重だと言われれば納得はできる。


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シンゲンが草むらに姿を消したので後を追うのをあきらめてあたりを見まわしていた私の視界に、こちらへ向かってくるシロベエの姿が映った。

《ん、シンゲンを追ってきたのか‥‥?もしそうなら、なかなか用心深いやつだな》


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猫は縄張り意識の強い動物であり、その領域に侵入してくる者がいれば体を張って駆逐しようとする。

エリア生え抜きの海岸猫がすべていなくなった現在、シロベエにとってはエリアの中心にある駐車場が自分の縄張りであり、固守すべきパーソナルスペースなのだ。

だからその駐車場にシンゲンが舞い戻らないか確認するために、ここまで出張って来たのだろう。


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シロベエとシンゲンの力関係が逆転しないかぎりは、ふたりだけしかいないこのエリアにおけるシロベエの地歩は盤石に見えた。

シロベエ自身もそう思っていただろうし、少なくともこのときまでは私もそう信じていた。

ところが‥‥。


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その盤石に思えたシロベエのポジションをおびやかす者が、数日後に出現することになる。

それも思いがけないかたちで‥‥。



〈つづく〉



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