シシマルエリアの変事 (後編)

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シンゲンは駐車場を出ると、道路をゆっくりと横切っていく。

向かっている先にはこのエリアのエサ場がある。おそらくシンゲンはそこへ行くつもりなのだろう。


このエリアの給餌は週末には朝夕の2回だが、平日は朝だけだと聞いている。
だから猫たちが空腹をうったえないために、エサ場には常にキャットフードを置いてある。


私が予測したとおり、シンゲンは真っすぐにエサ場へ行くと、餌の入った食器に鼻先を突っこんだ。
そのとき、背後から猫の大きな鳴き声が聞こえてきた。


駐車場に戻ってみると、キジ白が車の下から顔をのぞかせていた。


キジ白の鳴き声が駐車場に響きわたる。
しきりにあたりを見まわしているが、キジ白の周りには私がいるだけでほかには誰もいない。


私が思うに、この幼い海岸猫は特定の相手に何かを訴えているわけではなく、情動に突き動かされて鳴いているのだろう。
その情動が惹起したのは、自分が置かれた過酷な現実、それを冷静に見定め受け容れることができないでいることが原因かもしれない。

ふたたびエサ場へ行ってみると、食事を終えたシンゲンがのっそりと姿をあらわした。

目の前でカメラを構えて立っている私を警戒しているようで、鋭い眼差しで睨みつけている。
一度は気を許し身体をすり寄せてきたシンゲンだが、その後私の訪問頻度が少なくなったためにすっかり信頼を失ったようで、会うたびにこうして胡乱な視線を向けてくるようになった。

断続的に聞こえてくるキジ白の声が気になるのだろう、シンゲンは耳をそばだて駐車場の方を凝視しはじめた。
だがシンゲンの位置からは、死角になっていてキジ白の姿は見えない。


キジ白の鳴き声にどう反応するのか見極めるつもりでカメラを構えて待っていると、シンゲンは突然駆けだし、私の目の前を疾走していく。

そして近くの民家の敷地のなかへ姿を消してしまった。
おそらく私を警戒しての行動だろうが、シンゲンにここまで不信感を抱かせるようになった原因に私自身はとくに心当たりはなく、首を傾げるばかりだ。


駐車場に戻ってみたら、キジ白はさきほどと同じ車の下に腹ばいになり、思い出したようにときおり小さな鳴き声をあげている。

やがて視軸を固定して一点を見つめはじめたが、そこにはただ雑草が生えた地面があるだけで、猫が興趣をそそられるようなものは何もない。
ということはつまり、キジ白は何かを見つめているようだが、しかし実際は何も見ていないのだ。


ファインダー越しにキジ白を観察していると、しだいにとろんとした表情になり、瞼がじりじりと降りてきた。
このあたりはニンゲンの子どもと一緒で、おおかた泣くのに疲れて眠くなったのだろう。
私は上体を起こすと、できるだけ音を立てないようにその場から離れた。
シンゲンがいなくなりキジ白も動かなくなったのでシロベエの様子をうかがうと、シートの上に姿はなく、さらに周囲を捜しても見つからない。
そこで私は駐車場をあとにして、海岸の方へ捜索の範囲を拡げることにした。
すると‥‥。


倉庫様の建物の裏にまわってみたところ、シロベエはそこにいた。
自分の縄張りである駐車場を離れて何をするつもりなのかと訝っていたら、シロベエは使いこまれた金属製のテーブルにおもむろに前足をかけた。


そしてそのまま脱臼した右後ろ脚で軽く跳躍すると、テーブルの天板によじ登った。
こういう動きを見ると、機能しなくなった股関節を周りの筋肉が補っている様子がうかがえる。


それにしても縄張りとして固守する駐車場ではなく、どうしてこんな場所でくつろごうと思ったのだろう。
近づいてきたキジ白を避けるようにその場を去った先ほどの態度といい、私の印象ではどうもシロベエはあの新参の海岸猫を苦手としている風に見える。


しかし膂力にしろ胆力にしろ、小さなキジ白よりはるかに勝っているシロベエの方が何故忌避するのだろう?
「ひょっとしたら‥‥」私の脳裏にある考えが浮かんだ。


その考えとは、同じ捨て猫であるシロベエにとって、キジ白の悲痛な叫び声は自分の辛い体験を想起させる動因だったのかもしれない、というものだ。


私もそうだが、ニンゲンだって思い出したくもない辛い過去の出来事を追体験させられるような事象には耳を塞ぎ目を背けたくなるものだ。
基本的には気散じな猫にしても、生死に関わるような災厄は記憶の印画紙にしっかりと焼き付けられて、事あるごとに意識の表層に浮かびあがってくるのではないだろうか。

やがてシロベエは眠りについた。
猫もニンゲン同様に眠っているあいだは『レム睡眠(浅い眠り)』と『ノンレム睡眠(深い眠り)』をくり返していることが分かっている。
つまり猫もレム睡眠のときに夢を見ている可能性が高いのだ。

もしかしたらシロベエは自分が海岸へ遺棄される前の夢を見ているのかもしれない。
母親や一緒に生まれた兄弟たちとしあわせに暮らしていた頃の光景を‥‥。


今回私が目にしたシシマルエリアのささいな出来事は、このエリアの海岸猫たちの関係性が大きく様変わりする予兆にすぎなかった。
ただしその事実を私が知るのはずっとあとになってからだ。
〈了〉
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