好奇心 (後編 1)

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リンとサキは勝手知ったる自分たちのエリアに戻ってきた。
サキがエリアの境界線を越えてからここまでおおよそ15分が経っている。
たいした時間ではないけれど、ふたりにとっては日頃は経験できない貴重で意義あるひとときだったのかもしれない。
ふたりの行動を見ていた私自身はいささか気をもまされたが。


防砂林の奥にある、いまはもう誰も利用しなくなったベンチにリンとサキはとりあえず落ちついた。
ニンゲンがやってこないこの場所は、ふたりにとってはお気に入りスポットなのだろう。


そしてふたりそろってベンチの上でグルーミングをはじめた。


それも同じ姿勢で同じ部位をグルーミングするという、見事なシンクロ状態で。
こういうのを『阿吽の呼吸』とか『以心伝心』とかいうのだろう。
これまで数組の海岸猫の親子を見てきたが、これほど仲のいい親子はめずらしい。


グルーミングを終えたサキはベンチから跳び下りると、早足で踏み分けを歩いていく。
そのまま数メートルほど進めば、先ほど越えたばかりのエリアの境界線がある。
サキはふたたび境界線を越えようとしているのか?

けれど私の懸念は思いすごしだった。
サキは踏み分け道のわきにある松の木にひらりと跳び乗った。
こういう場面を目にするたびに、猫の身体能力、とりわけ跳躍力にはほとほと感心する。
このときもサキは助走もせずに1メートルあまりジャンプした。

猫は自分の身長の5倍ほどの高さまで跳び上がれる。
健康で標準的な体型の成猫の場合、その高さは1.5メートルほどになる。(なかには2メートルもジャンプする猫もいるそうだ)
ちなみにこの数値を身長170センチのニンゲンにおきかえると、8.5メートルもの高さになり、これは住居用の建物の3階部分にあたる。
想像してみてほしい、ニンゲンが垂直跳びでマンションの3階のベランダに着地する光景を。
その光景を頭に描くことができれば、猫の跳躍力がいかに驚異的かがある程度は実感できるだろう。

リンはというと、ベンチにうずくまり顔だけを向けて娘の行動をじっと見つめている。


サキは警戒心のこもった目で何かを追いはじめた。
やがて私の視界の片隅にレンガ道をとおっていく人影が入りこんでくる。

海岸散策や犬の散歩、ジョギングなどするひとの大半は海辺近くの道路を利用し、レンガ道を往来するひとはあまりいない
それはそうだろう、せっかく海岸に来たのだから海が見えない防砂林の中にあるレンガ道をとおるのはそれなりの目的があるか海に興味のない人たちだろう。
そしてそのようなニンゲンはごく少数派だ。

だからこそ海岸猫たちは警戒するのかもしれない。
自分たちに敵意や害意を持ったニンゲンがその少数派の中にいる可能性が高いと本能的に察知して。


ベンチを離れて近くの松の根元に座りこんだリン。


リンの視線が向けられている先には今しがた探索したショベルカーがあり、境界線のネット越しにアームの一部がここからも望むことができる。
リンはまだショベルカーへの興味を捨てきれないのだろうか?


何をしているのか私にはうかがい知れないが、灌木の奥にやはり腰を下ろしたサキの姿が見える。
先刻の重機探索で緊張を強いられた反動なのか、ふたりがやや気の抜けたまったりとした時間を過ごしているように私には感じられた。

融通無碍に生きている猫は気散じも得意で退屈などしないと言われている。
が、果たしてそれは事実なのだろうか?
猫だってニンゲンと同じようにときには無聊に苦しむことがあるのではないか、彼らとの交誼を深めるにつれ私はそういう想像をするようになった。

リンが移動すると、サキが灌木の茂みから出てきてリンのもとへ駆けつけてきた。

そしていきなりリンの顔をグルーミングしはじめる。


リンはいささか辟易気味で、目を閉じてじっと我慢しているという印象をうけるのだが‥‥。


サキは母のそんな様子を気にすることなく丁寧かつ執拗にグルーミングをつづける。


しかしさすがに耐えられなくなったのか、リンは目を見開くと娘の顔をにらみつけた。
するとサキはようやくグルーミングをやめ、あらぬ方を見つめる。

ふたりがもし無聊をかこっているとしても、私にできることは限られている。


私はふたりをうながすようにレンガ道をエリアの中心へ向けて歩きはじめた。
すると、まずサキが私のあとを追ってきた。

そして私のわきを足早に通り抜けると、そのままレンガ道を進んでいく。
サキはどうあっても私に先行されるのを避けたいようだ。


リンも私のあとについてきたが、なぜか途中で歩みをとめレンガ道に座りこむと、サキのうしろ姿を見送っている。
そこで私はリンに声をかけた。「リン、一緒にエサ場へ行こう」


やがてリンはおもむろに腰を上げると、悠然とした足運びで歩きはじめた。


リンは表情をひき締め前方を見据えたまま、一歩一歩地面の感触をたしかめるような足どりでこちらに向かってくる。


私はリンの歩く姿を正面から見るのが好きだ。
ライオンやトラなどの大型ネコ科動物を彷彿とさせる威風堂々としたその歩き方が大好きだ。


実際には猫としても小柄なリンがどうやってこうした貫禄や風格を獲得したのか、不思議なのだが。
威圧感のある表情、昂然とした物腰、それらはエリアのリーダーであるという自覚から必然的に身についたのかもしれない、と私は思っている。




エサ場へ到着してすぐにリンとサキに食事を与えた。

今の私がふたりの無聊を慰められるとしたら、とどのつまりは腹を少しだけ満たしてやることくらいしかないのだ。


食べ物に対して恬淡なリンはあっさりとトレイから離れた。


けれど若いサキは食べることに対してまだまだ貪欲だ。
自分のトレイを空にすると、リンがの残したキャットフードにも口をつけた。


リンは防砂林から出て “海の方” を眺めはじめる。
しかしリンの目線の高さでは防砂柵にさえぎられ、海はごく一部しか見えない。



やがてリンはやおら立ち上がると、慎重に歩を進めはじめた。

そしてしばらく行くと、いきなり身体を地面に横たえた。リンがこのような姿態をさらすことは滅多にない。

猫がつくる様々なポーズのなかでは、この “ゴロ寝” がもっとも可愛いと感じるひとも多いだろう。
だがこのときの私にはそういった心証などいっさい湧いてこなかった。
なんとなればこの場所は海岸沿いを走る道路のすぐわきなので、否が応でも人目につくからだ。
野良猫はニンゲンの注意をひかないようひっそりと暮らすのが肝要であり、それが生命を永らえる条件でもある、と私自身は常々思っている。


どんな気配を察知したのか私には分からなかったが、リンは慌てて身体を起こすと、身構えるが早いか出し抜けに駆けだした。




そして道路を一気に横断し防砂柵に突進すると、ジャンプ一閃、柵の上に跳び乗り、そのまま向こう側へ身をおどらせた。
人通りが多いこの時刻の海岸沿いの道にリンが出るのは稀であり、ましてや柵を越えて海辺へ近づくことなどこれまでついぞ見たことがない。
いったい何をしてリンをこのような行動をとらせたのか、私はいぶかると同時に呆気にとられた。
リンは性懲りもなく、またぞろ好奇心をそそられる新たな対象物でも発見したのだろうか?
〈つづく〉
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